大佗坊の在目在口

見たり、聞いたり、食べたり、つれづれなるままに!

2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

会津日新館の蔵書印

会津に「かすてあん会津葵」という菓子がある。会津葵は藩主松平家の紋どころ、お菓子の押文様は藩公の文庫印「会津秘府」をうつしたものだという。 (会津秘府)印 昨年、会津若松市立会津図書館で何点かの「会津秘府」印のある蔵書を見せてもらった。日新…

訃報 工学博士大竹多気

「桐生高等染織学校兼特許局技師従三位勲二等工学博士大竹多気儀永永病気之処療養不相叶本日薨去致候」と大正七年七月二十日付東京朝日新聞に広告が掲載された。 大竹虎雄、大竹千里、親戚総代に松田精介、松田壽三郎、松田甲、江副隆一、原田金次郎、友人総…

京都会津会第106回法要

京都会津会は、会津と関わりの深い京都に於ける先人の遺徳をしのび、会津の歴史と文化を直視し、そのよき伝統を受け継ぎながら郷土の発展に寄与することを目的とし、併せて会員相互の親睦を図るものとして、明治三十八年に発足、その事務所を戒光明寺境内「…

桐生高等染織学校長 大竹多気

群馬では明治三十二年当時から織都桐生に繊維関係の高等教育機関をという願いから高等学校の設置を要望、やっと明治四十四年、第二十七回帝国議会にて学校設立の議決がなされたが財政上の理由により執行されなかった。明治四十五年、設立費金35萬円と敷地…

米沢高等工業学校長 大竹多気

明治三十五年頃から山形県では県内官立工業専門学校の設置を切望していたが、仙台市に工業専門学校が設立の風聞も伝わり、明治三十九年九月、山形県知事より高等学校設置の要望書が提出され、米沢市は敷地二万坪の提供と四年間、継続して十万円寄付も申入れ…

千住製絨所長 工学博士大竹多気

千住製絨所(せいじゅうしょ)は明治十二年(1879)、それまで西洋から輸入していた羅紗を内地品で製造するため内務省管轄工場として操業、明治十四年農商務省管理となる。同十五年に民間への払下げの話もあったが支払い条件で折合いが付かなかった。同…